静岡県平和・国民運動センター
第49回護憲大会

 2012年11月9日~11日、山口県山口市の維新百年記念公園内の県スポーツ文化センターアリーナをメイン会場に、平和フォーラムや自治労などでつくる実行委員会の主催による「『生命の尊厳』をもとに、原発も基地もない平和な社会へ 憲法理念の実現をめざす第49回大会(第49回護憲大会)」が開催され、全国から2,500人が参加した。静岡県からは、県平和・国民運動センター加盟の団体関係者ら11人が参加した。

第49回護憲大会

 11月9日の県スポーツ文化センターアリーナでの開会総会は、地元周防大島町出身のラッキー兄妹ユニット「マウンテンマウス」のオープニングコンサートで開幕した。その後、1982年に浮上した上関原発建設計画に対して、山口県在住の写真家・家那須圭子さんが綴った祝島島民の反対運動の写真をスライド上映し、反原発闘争の歴史を振り返った。開会総会の総合司会は、日教組中央執行委員の瀧本司さんと、山口県実行委員会の河村典子さんが務めた。

 最初に、主催者である第49回護憲大会実行委員会実行委員長(平和フォーラム代表)の江橋崇法政大学教授が「今、全世界的にリーダーが交代する時期、すでに、米国の大統領選挙があり、中国の最高指導部が始まり、まもなく韓国でも大統領選挙がある。今、他ならぬ日本でも政権交代がうわさされてる。この間、リーダーの交代による日本に関係する東アジアでは、日本をめぐって様々なトラブルが発生している。日中、日韓の問題もある。そういう中で私たちは、これまで憲法理念の実現を目指して、平和、人権、及び環境の運動に携わってきた。あらためて、東アジアの対外的関係を濃厚に意識し、今後の運動のあり方を考えていかなければならない。2009年に日本では政権交代が起こり、民主党政権が誕生した。しかし、民主党政権は様々な問題を起こしている。

 政権交代した結果、平和フォーラムの運動は、政府と友好的な関係が持ちうる運動になったことについて3つのポイントをもっていた。1つはフォーラム平和・人権・環境である。平和の問題に関しては、沖縄における普天間基地の辺野古への移転を断固阻止すること。そして平和基本法制定を目指すことであった。環境の問題にかんしては、何と言っても脱原発である。今日、脱原発基本法を展望して頑張っているところである。人権の問題に関しては、人権国内機関に集うということを主導してやってきた。先日、人権国内機関に関する法律が民主党で決まったが、国会にはまだ提出されていない。この3つのポイントを集約し、なんとか実現したいとがんばってきた。それとともに東アジアにおける非核平和な地域をつくるということにも努力してきた。歴史を直視し、反省し、正すことは正し、未来を志向し、非核平和な東アジアをつくるということで頑張ってきた。今、ナショナリズム的過激な運動、行動に直面して、あらためて、日中、日韓、日朝の平和的友好を願うもの同士、大同団結し相互に協力し合い、相互に尊敬し合っていく関係を構築しなければならない。2つめに、これから先の東アジアの未来をどうつくっていくのか、ということも重要である。3つめに日中、日韓、日朝の市民の交流、相互理解を増していかなければと思う」とあいさつした。

 次に、地元山口県実行委員会実行委員長の纐纈厚山口大学副学長が、大会を山口で開催することの意義とともに「今、保守のうねりが巻き起こっています。護憲のうねりが、後塵を拝するかのごとくの日本の状況がある。私は、『護憲』か『改憲』というような二項対立で、再定義する時代はすでに去ったのではないか。護憲運動がこれまで定着しなかったのは、護憲社会というものの具体的見取り図、方向性を多くの国民に説明しきれなかったことに問題があったのではないか。たとえ憲法がすばらしい憲法であったとしても、国民から愛されない憲法では、たとえ『護憲』であっても十分な議論はできない。私は、『愛憲』という言葉を流行らせたいと思っている。憲法を愛する試みをどのようにしていくのか、それが護憲運動の目指すべき理念であり、精神ではないかと思う。憲法を愛する運動を、ここ山口から全国へ発信すること、また国際社会へ向けて発信することが強く求められている」とあいさつした。

 続いて、高橋睦子連合副事務局長、平岡秀夫民主党衆議院議員、福島みずほ社会民主党党首が連帯のあいさつをした。連帯のあいさつで、地元選出国会議員である平岡秀夫民主党衆議院議員は「この時期の護憲大会が、上関原発、岩国基地のオスプレイ問題などをかかえる山口県で開催されることは、もっとも開催地として適しているのではないか。山口県から全国に問題提起をしていくことで有意義な大会になると期待している。人権や環境、平和の問題等にひとりの国会議員としてしっかり取り組んでいくことを誓う」と述べた。

 また福島みずほ社会民主党党首は「私はこの貴重な機会に3点申し上げる。1つめは、『被災者支援と脱原発』である。原発再稼働反対、新・増設反対、及び国会での脱原発基本法案成立に皆さんも一緒に力を合わせいただきたい。2つめは『社会民主主義』である。新自由主義でない社会民主主義の実現に向かって頑張っていく。3つめは『平和と憲法の問題』である。今、国会の憲法審査会で憲法改正の議論が行われている。また、オスプレイの沖縄への強制配備と全国での低空飛行訓練が行われようとしている。これらを何としても阻止していこう。今、自民党や第三極の多くの人たちは原発推進、新自由主義、憲法改正であることに大きな危機感を持っている。これらの勢力を絶対に許してはならない。第3極というのであれば、それは脱原発、社会民主主義、憲法を生かす勢力でなければならない。憲法を生かす勢力をいっしょにつくろう」と訴えた。

 基調提案をした藤本泰成実行委員会事務局長は、「米国はいまだ日本を『敗戦国・日本』と見ているのではないか。戦後67年、復帰40年経っても沖縄は何も変わっていない。米国政府も日本政府も何もせず、日々の暮らしの安定を奪ってきた。ここに来て集団的自衛権や現行憲法を廃止しようとする勢力が台頭してきている。私たちは『武力で平和はつくれない』という立場で、9条を生かして平和を築いていく」と提起した。

■ 藤本泰成実行委員会事務局長の基調提案(全文)

 ご紹介いただきました。本大会実行委員会の事務局長の藤本でございます。本大会の基調は、お手元に配布をさせていただいております。後ほどゆっくりとご覧ください。私からは、そのなかの中心的考え方を述べさせていただき、基調提案に代えさせていただきます。

 平和フォーラムは、11月4日、芝公園に4000人を集めて集会を開催し、「オスプレイの配備を許さない」との声をあげ、運動の全国展開のために、私たちの強い意志を確認してきました。

 米国では、市民の反対で「訓練飛行計画」が撤回されているにもかかわらず、岩国への一時駐機に始まり、オスプレイは沖縄普天間基地へ強行配備されました。岩国市長、山口県知事の反対表明、そして沖縄県においては、県知事や41市町村長すべての反対、そして何を置いても10万人を超す沖縄県民のオスプレイ配備反対の意思表明があったにもかかわらず、米国政府、米海兵隊は、普天間配備を強行し、日本政府はそのことを追認しています。

 配備にあったって安全性及び飛行制限を議論したとされる、9月19日の日米合同委員会の合意は、初めて「低空飛行訓練」という文言が出る1999年の合意を超えるものではなく、「可能な限り」「運用上必要なものを除いて」などの文言から、飛行制限が制限されるという皮肉なものとなっています。

 オスプレイが危険で墜落の可能性の高い航空機であることは周知ですが、米国内で規制され市民の反対から飛行訓練計画を撤回されるものが、何で日本の空を多くの反対を押し切って飛ぶことができるのか、このことが象徴する意味は大きいと言えます。

 ヨーロッパで、アジアで、どこにおいても低空飛行訓練を行っていない米国は、しかし日本では平気で訓練を強行する。日本に対するこの米国の傲慢な姿勢は、日本全体で問題にしていくべきと考えます。戦後67年、復帰40年、沖縄の現実は何も変わりはしない。そしてそのことに対して、米国はもちろんのこと日本政府が何もしない現実があります。安全保障上の措置と言いながら、日々の暮らしの安全を奪い、不安のなかでの生活を余儀なくされるのが日米安保体制の現実なのです。

 山口県出身の安倍晋三自民党総裁は、「尖閣諸島の領有をめぐる問題があるからこそ、米国との集団的自衛権の行使は必要だ」との持論を述べています。しかし、その米国は「尖閣問題ではどちらの側の立場にも立たない」と繰り返し述べています。尖閣諸島問題での、集団的自衛権の行使はあり得ないと考えます。きっと米国の利益になる場合に、私たちはその行使を余儀なくされる、強要されるのだと考えます。そのことは、米国との同盟関係が、米国の利益においてこそ活用されることを表しています。

 私たちは、深い悲しみと相互不信や怨嗟の関係をつくり出した侵略戦争を反省し、そのなかで平和を希求する憲法の理念を実現しようとしてきました。私たちは、アジアに生きる人間として、侵略と植民地支配を深く反省し、新しいアジア諸国との信頼と友好の関係をつくり出さねばなりません。そのためには、アジア諸国への加害の責任を「戦後補償」という形で、しっかりと果たして行かなくてはなりません。

 保守・反動と呼ばれる勢力は、狭隘なナショナリズムをあおり、尖閣諸島や竹島の領有権を主張し、それが日本社会を揺るがす問題であるかのように宣伝しています。しかし、そのような主張と進展のない戦後補償課題は、実は日本社会の貧困な人権環境と結びついていることに目を向けなくてはなりません。朝鮮高校へ高校無償化制度が適用されないこと、外国人地方参政権が実現しないこと、政治家のアジア蔑視の発言が絶えないことなど、この人権課題は、実は私たち一人ひとりの人権と結びついて、人権の国際基準から大きく後退した日本をつくり出す要因であることを忘れてはなりません。憲法理念の実現をめざす第49回大会は、日中・日韓の領土問題がクローズアップされるなかで開催をされます。米国に従属し、主体性を欠いた外交政策・防衛政策を取ってきた日本が、今まさに大きな転機を迎えています。オスプレイ配備をめぐっては、全国各地で反対の声が上がり、沖縄の負担軽減にはうなずいても、どこも自ら米軍基地を受け入れようとの声は上がりません。

 私たちは、戦後社会、もっというならば黒船来港以来の「脱亜入欧」といった考え方を脱して、憲法の前文に示された「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とする理想を高く掲げながら、しかし現実的な選択を続けるなかで、「東アジア・太平洋地域における共通の安全保障」の実現に向けて、着実な歩みを進めて行かなくてはなりません。

 イスラム社会から、南米社会から、嫌われ始めている、そして、経済が、社会が疲弊し始めている米国、その米国という泥舟にしがみつくのか、それとも「アジア」という新しい船に乗って新らたな航海に出発するのか、そのことが問われています。

 10月4日、東京都議会では「現憲法は米国占領下で制定され無効」「国民主権は傲慢な思想である」などとする内容の「現行憲法を無効とし大日本帝国憲法の復活を求める請願」に、橋下徹維新の会代表が主宰する維新政治塾塾生であった都議会議員など3人が賛成をしました。橋下徹維新の会代表は、その考え方を否定していますが、しかし、連携を模索する石原慎太郎東京都知事は、占領下に制定された現行憲法は「解決しなければならない主要矛盾」と主張しています。

 問題は、そのような議論がまかり通る社会であるということです。憲法無効、憲法廃棄、自主憲法制定、憲法改正、表現は違えども中身はみな同じことだと思います。「天皇を元首」「自衛軍の設置」など、自民党の改正案も同様です。国会の一院化、3分の2条項の改正など、権力の行使を容易にしていこうと意図するものであり、変えようとする側の論理は、憲法のあり方を歪めるものです。

 「権力を抑制し主権者たる国民の権利を守る」という憲法のあり方は、近代社会の長い歴史のなかで、血を流す努力をもって作り上げられてきました。日本においても、敗戦という未曾有の惨禍から手に入れたものです。このあり方を歪める勢力を決

 2011年3月11日、日本社会は東日本大震災と福島原発事故という衝撃的な災害に遭遇しました。私たちは、以来、「一人ひとりの命に寄り添う社会」を作ろうではないかと、「脱原発」の運動を中核として社会変革にとりくんできました。しかし、被災地の復興も被害者の救済も遅々として進みません。しかも復興予算が、被害地そのものとは関係づけの困難な予算執行が問題にされました。そのことが、日本社会のありようを象徴しているのではないでしょうか。

 憲法が規定する「生存権」が、災害という緊急事態のなかでどのように保証されていくのか。個人にとって、国というものが何であるのかが問われています。一方で、福島の原発事故は加害責任のある事件であり、国と事業者、原発推進を主張してきたすべてが、しっかりとその責任を担うことが求められます。しかし、実際はその責任を全うすることもなく、自らが被害者であったかのように被害からの原発復興を目論んでいます。

 福島原発で身を削りながら放射能を浴びながら事故の収束に働いている労働者を知りながら、自然との共存のなかで命を育んできた土地を奪われた農民を知りながら、なお、原発は必要であると主張する者たちの責任を問うて行かなくてはなりません。そのことから社会のあり方を変えて行かなくてはなりません。人の「命」に、思いを馳せない政治が、社会がまかり通っています。

 国連の「ミレニアム開発目標」は、貧困と飢餓、格差を解消するプロジェクトとして重要ですが、明確な成果を示し得ないなかで、次の見直しに入っています。このことこそが、「人間の安全保障」という考え方こそが、世界の平和を実現する、遠く見えますが一番早い道程なのではないでしょうか。豊かさを平等に享受できる社会を、一人ひとりの命が尊重される社会を、日本国憲法はそのような社会を希求するものであることは明らかです。

 「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」と、私たちは宣言をしました。その原点を忘れてはなりません。

 この会場は、維新100年の森にあります。明治維新という近代の夜明けが、ここから始まりました。維新そのものの評価は別にして、多くの血を流しながら、時には大きな過ちを犯しながら、しかし、社会の変革を求めて私たちは、進んできました。この山口での、三日間の議論が、新しい社会のあり方を少しでも示唆するものになるならば幸いです。みなさまの真摯な議論をお願いし、基調の提起とさせていただきます。

(出典:平和フォーラムホームページ「憲法理念の実現をめざす第49回大会(護憲大会)開会総会」大会基調提案 藤本泰成事務局長 より)

第49回護憲大会

 開会総会に引き続いて開かれた「東アジアとの友好~日中韓関係をめぐって」と題したシンポジウムでは、民主党衆議院議員の平岡秀夫さん、中国大使館参事官の文徳盛さん、アジアの平和と歴史教育連帯国際協力委員長をしているカン・へジョン[姜恵楨]さんの3人のパネリストとコーディネータ役の江橋崇平和フォーラム代表(法政大学教授)が討論した。

 平岡秀夫民主党衆議院議員は、政府が尖闇諸島を国有化した理由を「石原慎太郎都知事(当時)が現状を大きく変えることを防ぐため」と説明する一方、「3国間でさまざまな問題が生じる背景に日本政府の(1)相手の立場を考えず自身の立場やメンツにこだわる、(2)米国追随、いいなり-の姿勢がある」と話した。

 文中国大使館参事官は「中日国交正常化40周年でいろいろな交流イベントを計画していた。勢いのある時に釣魚島の問題が起き悲しい」と語り、「明るい兆しは見えていないが乗り越えなければ」と訴えた。姜アジアの平和と歴史教育連帯国際協力委員長は「日本と韓国の国民レベルで領土問題の認識のギャップは広がっている」と指摘し文化交流の重要性を強調した。最後にコーディネータの江橋崇平和フォーラム代表(法政大学教授)が、「お互いの国家の文化を尊重・尊敬し、経済の共同体としての浸透を認め合うことが必要であり、今後は日本として憲法理念を実現する道を示していきたい」と締めくくった。

 第2日(11月10日)は、午前から(1)「地球環境-脱原発に向けて」、(2)「非核・平和・安全保障」、(3)「歴史認識と戦後補償」、(4)「教育と子どもの権利」、(5)「人権確立」、(6)「地方の自立・市民政治」、(7)「憲法」の7分科会、(1)「祝島ふれあいツアー(上関町祝島)」、(2)「歴史と自然をめぐるツアー(萩~美祢)」の2コースのフィールドワーク、午後には(1)「男女共同参画の広場-原発とジェンダー」、(2)「上関原発を考える~映画『祝の島』上映と現地からの報告」、(3)「米軍岩国基地問題を考える~オスプレイ配備反対。沖縄・岩国だけじゃない。日本全国が訓練場に」の3つの「ひろば」、特別分科会「運動交流」が行われた。

 このうち「祝島ふれあいツアー(上関町祝島)」のフィールドワークには、48人が参加した。1982年上関町長島に中国電力の原子力発電所の建設計画が浮上した。計画が浮上して以来、建設の是非をめぐり、町民は分断の苦しみと混乱の中にある。祝島は原発予定地から4キロ先にある。島民の9割が反対し、漁業補償金の受け取り拒否、30年間にわたり反対運動を続けてきた。現地、祝島を訪れ、島民が守り続けてきた「生命」と「暮らし」を見つめた。

 祝島に到着した参加者を、島民の人々は暖かく迎えてくれた。「上関原発を建てさせない島民の会」代表の清水敏保さんが「私たちは、きれいな海や山を守る

 最初に豚の放牧を視察した。養豚業を営んでいる事業主の息子さんは「20頭余の豚を全部放牧でやっている。餌は、島内数か所にポリバケツを置いて、島民の人に残飯を入れてもらっている。それを餌として与えていて、合成飼料は一切使用していない。島内に多くある耕作放棄地を利用することで、放牧豚が草を食べ、フンをすることによって、雑草をきれいにしてなおかつ土地を豊かにしてくれる」と参加者に説明してくれた。

 次に、参加者は、自然エネルギー利用の取り組みについて説明を受けた。島民全員が利用する「えびす屋」の屋根に設置された太陽光発電パネルは全国からの寄付で設置された。島内でできる限り電気を自給していこうと2011年1月から取り組みを始めた。

 今年の夏は、太陽光発電だけで日中の電気は賄えたという。また、島内にある自然資源をエネルギーとして利用していこうという取り組みが始まっている。70件以上の家がいまだ風呂を薪で沸かしていたり、海産物を浜風と天日で干すことも、ある意味自然エネルギーとして利用している。祝島の太陽光の発電量は中国地方の平均の約1.3倍あるという。祝島の未来というのは、海や島を守るということであると、そのためには、原発を反対するだけでなく、原発が無くても暮らしていける、原発がないことが豊かな暮らしであることを実証していくことが、大きな反対運動になるということで取り組んでいる。

 続いて、今も島内に残る「練り塀」と呼ばれる堅固な石積みの壁で囲まれた家屋について、橋部好明さんから説明を受けた。この「練り塀」は50センチの幅で石を2個ずつ並べて間に土を詰めて固める。1段目が固まったら、2段、3段と積んでいく。冬は暖かく、夏は涼しい。また、祝島の「練り塀」の特徴は、漆喰を使っている。さらに、「練り塀」で町並みをつくっているのも祝島だけの特徴である。祝島の練り塀に使う石は長方体で横に使うのが基本であるとのことであった。

 昼食は、島の食材を使い、島民の皆さんによる手作りのかやくご飯、みそ汁と今朝釣り上げた魚の刺身であり、とても新鮮であった。昼食後、参加者は島民の皆さんに感謝とお礼をして、祝島を後にした。原発反対運動を30年間続けながら、島民の「生命」と「暮らし」を守ってきた様子がところどころに見られた。

 最終日(11月11日)の閉会総会は、会場を「ホテルかめ福」に移して約600人の参加者のもと行われた。まず、4人の特別提起を受けた。

 最初に、「オスプレイ配備阻止のとりくみ」について沖縄平和運動センター事務局長の山城博治さんが「私たちは、基地の周りに座り込んで、機動隊と対峙しながら、このオスプレイ配備阻止の闘いをしている。また、米兵による犯罪が続出しているにも関わらず、日本政府は逮捕しない。私たちは退職者を中心に毎日、ゲート前で取り組んでいる。そうであるなら、我々は腹を決めて必ずや県民総決起で、もはや、沖縄に米軍基地はおけないのだという状況をつくりだして1日も早く米軍基地の整理縮小に向けて取り組みの強化を進めていきたい」と強く訴えた。

 次に「震災・原発事故被災地からの訴えととりくみ」について福島県平和フォーラム代表の五十嵐史郎さんが「今日で原発事故から1年8か月が経つが、県民の不安や苦労は全く解消していない。むしろ避難生活が常態化する中で新たな困難が次々に出ている。今は脱発というよりも、東電や国への補償・賠償や地域の再生に重点が置かれ、避難者を県外からどうやって戻すのかに重点がおかれている。放射能による健康被害を過小評価して不安は気持ちの問題だという方向にしたい。また、原発推進派は、原発事故を風化するのを待って原発を再稼働させようとしている。もう一つの不安は、放射能による差別、人権侵害でを受け、福島県民は二重三重の苦しみを味わっている。また、放射性廃棄物の中間貯蔵施設、仮置き場が決まっていない中で放射性廃棄物の行き場がない。放射性廃棄物の処理方法がないままに原発を始めた無責任さに怒りを感じる。これからは、原発をつくらせないと同時に放射性廃棄物、使用済み核燃料をどうするのか、私たちも本気で考えていく必要があるのではないか。原発の問題は、他人ごとではない、過去のことでも、未来のことでもない、現実に今何とかしなければならないという問題である」と訴えた。

 続いて「自衛官人権問題をめぐるとりくみ」について神奈川平和運動センター事務局長の小原慎一さんが「日本には、すでに空母が2艦あり、更に3万トン級のヘリ空母の建造が始まろうとしている。海上自衛隊はこれだけ装備が肥大化している現状がある。加えて3・11以降、自衛隊が復興に向けて活躍しているというニュースが流されている。一方では、自衛隊の内実はどうなっているのか。自殺した自衛官の上司が日常的に暴行・いじめをしていた。自衛隊が暴行・いじめの事実を知っていたにも関わらず組織的に隠ぺいしていた。私たちは、裁判を通して、自衛隊の隠ぺい体質、組織防御のための人権を無視した体質について勝訴を勝ち取ることで明らかにしていきたい」と訴えた。

 最後に「上関原発・岩国基地など山口におけるとりくみ」について山口県平和運動フォーラム事務局長の桝本康仁さんが「1982年に突如浮上した上関原発反対闘争においては、山口県平和運動フォーラム、原水禁山口県民会議は地区労時代を通じて『上関原発を建てさせない祝島島民の会』を中心とする市民団体と連携をはかりながら30年間にも及ぶ反対闘争を展開してきた。現在の上関原発計画を取り巻く状況は、東日本大震災、東電福島第一原発事故以降、多くの国民が脱原発を求める中、さすがに中国電力も工事の中断を余儀なくされ現在に至っている。国の原発政策が不透明の中では事実上凍結される可能性が高い。中国電力は政権交代によって将来的には新増設が認められることを一方では期待している。まだまだ予断を許さない状況が続いている。次に岩国基地の機能強化反対の取り組みは、これまで連合山口と連携して様々な反対集会をしてきた。またオスプレイ配備反対に対する取り組みについては、地元住民も巻き込んで抗議行動を実施してきたが、残念ながら配備を強行されてしまった。岩国基地をめぐる状況については、オスプレイ本格配備にともなう岩国基地の訓練拠点化や厚木基地からの艦載機移転による機能強化、爆音問題など取り組むべき課題に直面している。日本に存在する米軍基地の縮小・撤去を目指して基地ネットワークの取り組みを基本に全国各地と連帯した取り組みを県内外でしていく」と訴えた。

 次に、「大会のまとめ」を藤本事務局長が提案した。大会議論の詳細に触れるとともに、最後に「次回は50回の節目。49回の大会の歴史と今をしっかりと総括することが求められている。半世紀にわたって私たちはどうか関わってきたのか、そこからの出発がどうあるべきか。脱原発の声のなかで、市民のあり方ととりくみは大きくスタイルを変えている。私たちの運動がどう向き合うのか問われており、しっかりと議論を続けていく」と締めくくった。

第49回護憲大会

■ 藤本泰成実行委員会事務局長の大会のまとめ(全文)

 事務局長の藤本です。みなさん、3日間、真摯な議論をありがとうございました。初日のシンポジウムから7つの分科会、3つのひろば、2つのフィールドワーク、そして今日の4つの特別提起、一言で語ることのできない、本当に複雑なそして深刻な課題が山積していると感じました。

 大会のまとめを行いたいと思いますが、すべての議論に触れることができないことをお許しいただきたいと思います。そして、まとめの内容が、現時点での私の思い、考えであることをお許しいただき、今後、みなさんとの議論ととりくみを通じて運動を深化させていただきたいと思います。

 今大会は、尖閣諸島・竹島の領有権が、日中・日韓の外交問題として浮上し、ナショナリズムが高揚するなかで、中国国内では反日デモによって日系企業などに大きな被害が出たきびしい情勢のなかで開催をされました。シンポジウムには、中国大使館から文徳盛参事官、韓国のNGOアジアの平和と歴史教育連帯からカン・ヘジョン国際協力委員長、そして地元山口県選出の平岡秀夫衆議院議員を迎え、日中韓の友好関係をどうつくるかを議論させていただきました。

 シンポジウムの冒頭、カン・ヘジョンさんから、「明治維新後、日本はアジアを抜け出して欧米諸国をめざした。今日のシンポジウムのテーマ『東アジアとの友好』からは、日本がアジアの国であると見えるだろうか。日本はアジアの一員であるし、みなさんも私もアジアの一人です」との指摘をいただきました。

 私は、この間「脱亜入欧」といった明治期からの観念を引きずり、いまだにアジア蔑視の考えから抜け出すことのできない日本のあり方を非難してきました。欧米諸国を常に意識しながら、自身の立ち位置を図ってきた日本から、抜け出さなくてはならないと考えてきました。しかし、アジアの一国として日本を考えながら、しかしどこかでアジアの外に日本を置いている自分を指摘されたような気がしました。カンさんの言葉を、もう一度かみしめていきたいと思います。

 日中韓の、それぞれ異なる立場からの議論は、かみ合わないように感じられながらも、政治・経済・文化のすべての分野で、友好関係を構築することがお互いの将来にとって重要であること、そのことのために何が必要なのかということについて、私たちは自らの利害を超えて話し合うことが大切であるという認識で一致できたのではないかと思います。

 日本国内において、尖閣や竹島問題を持ち出してナショナリズムをあおり、そのなかで現憲法をあたかも米国から押しつけられたかのように近代以降の国民主権の考えを否定し、戦前の社会のたとえば「忠君愛国」「滅私奉公」を理想とするような社会のあり方を模索する勢力があります。彼らの論理は、各々の利益を基本にして行動するもので、新しい社会のありようを示すものではありません。

 第7分科会の舟越耿一さん、そして第5分科会の飯島滋明さんは、まったく別な分科会において、お二人とも憲法学者として、震災復興などを理由にした憲法改正の問題に触れました。これまでの9条改憲論とは違った形での改憲主張が出てきていることに、私たちは敏感でなくてはならないと思います。現行憲法が認めていない、緊急時に私たちの一切の権利を停止し、権力の行使を認めるという主張による改憲論が、震災対応から浮上しています。そのことが緊急時の対応に威力を発揮し、あたかも私たちの利益になるというような主張にだまされてはなりません。お二人の指摘に、私たちはことの重要性を感じなくてはならないと思います。「米国は国内の利権構造のなかで戦争の種を作り出している。1945年以降、そのような国内情勢の中にあって、戦争を繰り返してきた。」第2分科会において、本大会の地元実行委員長でもある纐纈厚山口大学教授から示唆に富む報告をいただきました。

 民主党政権は、政権交代を果たした2010年のマニュフェストのなかで、米国との従属関係を見直しアジア重視の政策を提起しました。そのことが、米国を刺激し、民主党はその後米国への従属性を強めていくこととなりました。

 纐纈さんは、米国がこの間主張するスマート戦略は、財政的に日本と韓国などに米国軍の変わりをさせるという、スマートなつまり頭のいい、もしくはこざかしい戦略なのだと指摘しています。現在、米国は財政を圧迫する国防費の削減が喫緊の課題とされていますが、しかしアジアにおける軍事的プレゼンスを変更することはないとしています。再選されたオバマ大統領の最初の訪問先がアジアであることは、米国がいかにアジア重視の姿勢を持っていることかの証左と言えます。

 脅威として喧伝される中国の軍事力の実態は、しかし中国初の空母「遼寧」の設備や戦闘員の練度など、どれをとっても実戦に適応するものではない。また、人民解放軍280万は、外征型の軍隊としては機能しないと纐纈さんは指摘し、その驚異は、米国のために作られたものとしました。米国とっても、それに依拠して防衛政策を作り上げてきた日本にとっても、都合のいいものと言わざるをえません。米軍基地が、米国のためにあり、日本全国が利用されている、急遽参加をいただいた、伊波洋一元宜野湾市長の、在日米軍はいまだに「占領軍」として日本に君臨しているのだという指摘は、米軍の本質として重要であると思います。

 「岩国基地、そしてキャンプ富士、厚木基地がオスプレイの訓練に使われる」「日本の空をオスプレイが縦横無尽に飛んでいく」。纐纈さんは、全国の沖縄化が進む、沖縄における軍備増強を許さないことは、日本全体の増強を許さないことだ」と指摘されました。それを受けて伊波さんは、「沖縄県民全体が、そして41市町村すべてが、オスプレイ配備に反対し大きな声をあげている」「その反対の運動を全国に広げる、平和勢力の沖縄化が必要だ」としました。

 私たちに求められていることは、そのことだ、沖縄の問題に対する私たち自身の当事者性がいま、まさに求められているのだ。そういう思いを強くしました。

 「脱原発」を求めて、私たちは東日本大震災以降、全力でとりくみを進めてきました。しかし、いまだ明確でない政治状況があります。第1分科会では、ISEPの松原弘直さんから、自然エネルギーの世界での現状と日本の現状のギャップを明らかにされました。遅れている日本のとりくみも、しかし、そのなかに将来への可能性を見ることができるとも感じました。そのことは、私たちの強い意志に支えられるものであることは当然です。

 「未来は予測するものではない、選び取るものである」原発拒否の姿勢を貫いたデンマークの学者ヨアン・ノルゴーの言葉を、松原さんは紹介しました。まさに、脱原発の運動の、私たちの思いの根本をつく言葉だと思います。

 原子力資料情報室の伴英幸さんは「国民世論が原発ゼロを入れさせた」と言います。政治のなかで「脱原発」のぶれない立場で、孤軍奮闘してきた伴さんのこの言葉は、脱原発の運動にとりくんできた私たちの、そしてその思いでそれぞれの場でがんばってきた市民の思いに寄り添った言葉であると思います。その言葉は、運動に勇気を与えるものと思います。

 本大会では、第1分科会「地球環境」、第4分科会「教育と子どもの権利」、第5分科会「人権確立」において、それぞれの立場から東日本大震災及び福島原発事故について触れられています。また、広場(1)と(2)では、上関原発建設阻止のたたかい、そして、女性の立場からチェルノブイリにおける被害実態の報告がありました。

 現在も、そして将来も人々を苦しめ続ける原発事故と放射能汚染の実態を、私たちはきちんと共有しなくてはなりません。正確な情報を、放射能の危険性とウラン採掘から使用済み核燃料の最終処分まで、正確な情報を学ばなくてはなりません。

 そのことが、第5分科会で福島県教組の大和田修さんの話された「放射能がうつる」「福島県民とは結婚するな」「子どもが産めない」などという心ない差別を払拭し、自らの健康を守り、将来を補償する一番の近道なのだと思いました。

 広場(3)の米軍岩国基地を考えるで、齢90歳となる方の発言がありました。三池闘争も経験したかたの発言に、私は、この49回を迎える本大会に、「しっかりしろ」と肩をたたかれたのだと感じました。次回は50回の節目の集会となります。

 大会の歴史と今をしっかりと総括することが求められています。日々刻々と変化してきた現状に、半世紀にわたって私たちはどうか関わってきたのか、そこからの出発がどのようなものであるべきなのか。脱原発の声のなかで、市民のあり方とそのとりくみは大きくスタイルを変えています。私たちの運動がそのことにどう向き合うのか。労働者として、市民として、私たちが社会とどう向き合っていくのか、多くのことが問われ続けています。しっかりと議論を続けていくことが重要です。

 まとめの最後に、本大会に忙しい中駆けつけていただいた助言者のみなさんに、心から感謝を申し上げたいと思います。そして、本大会の開催にそれぞれの立場から支えて下さった、山口県実行委員会のみなさまに感謝を申し上げ、本大会のまとめとしたいと思います。3日間、本当にありがとうございました。

 大会は、「遠藤三郎賞」に、山口県の「上関原発を建てさせない祝島島民の会」を、「平和運動賞」に「山口県平和運動フォーラム」と「原水爆禁止福岡県民会議」の2団体を表彰した。

 「遠藤三郎賞」を受賞した、山口県の「上関原発を建てさせない祝島島民の会」の代表の清水敏保さんは、「中国電力が計画している上関原発建設計画を30年にわたり反対してきた。ふる里の豊かで美しい海や山を原発建設計画によって破壊されることに対して阻止行動を行ってきた。3年前の埋め立て阻止行動では、中国電力から私を含め作業を邪魔したということで4人が4800万円の損害賠償を訴えられ、現在も裁判闘争中である。そして30年間、毎週原発反対デモを島内で行って、現在1150回を数える。今回、この名誉ある賞をいただいたことを契機にこれからも島民と一緒に、また全国の皆さんと一緒に、上関原発が白紙撤回されるまでがんばっていきたい」とあいさつした。

 その後、大会アピールを参加者全体の拍手で採択し、山口県実行委員会委員長代行の岡本博之県平和運動フォーラム議長が「今回、山口で護憲大会を引き受けようと決意したのは、上関原発の闘いがある。上関原発を建てさせない祝島島民の会の闘いに、フォーラム山口も一緒に闘いに入らせてもらう中でいろいろなことを学んできた。あの3・11がなければ、あの海は埋め立てられていたかもしれない。祝島島民の皆さんは、金にも権力にも負けず頑張り抜いて一緒にきましたが、申し訳ない言い方ではあるが、3・11の東電福島原発事故に救われた。言いたいことは、私たちがやっている運動は決して間違っていない。絶対に正義である。山口での上関原発の闘いを通して、もっと強くなっていこう。その強くなっていく機会に、この護憲大会を山口にやってきてもらおうと決意した中での一年間であった。ここからの闘いに決意をあらたにやっていく」と閉会のあいさつをして、3日間の全日程を終了した。