静岡県平和・国民運動センター
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第9回憲法フォーラム 名古屋大学教授愛敬浩二氏を招き講演会

憲法フォーラム

 東海ブロック第9回憲法フォーラム(平和フォーラム東海ブロック連絡会議主催)が10月6日午後、三重県四日市市・四日市市総合会館で開かれ、東海四県から、各県平和フォーラム加盟団体関係者や一般市民ら200人が参加した。静岡県から県平和・国民運動センター加盟団体関係者ら20人が参加した。

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 主催者あいさつで、同連絡会議の杉山美津夫議長は「安倍政権が誕生し、参議院議員選挙で安定多数を確保したため、さまざまな制度や憲法の改悪が進められようとしている。そのため、今、我々がとりくまなければいけない課題は山積している。憲法改悪、憲法解釈問題、原発問題、近隣諸国問題、在日米軍基地、オスプレイ問題、高校無償化問題など、その一つ一つがとても重要で納得がいく形でおさめなくてはならないものばかりである。しかし、今我々と対峙しているのは、衆参で過半数を優に越えた巨大与党である。それに立ち向かうためには、やはり悪い方向に流れているものを押しとどめる動きを国民の中から生まれさせなければならない。平和フォーラムでは、この10月を『憲法月間』と位置付け、改憲阻止の全国的なうねりをつくりだす取り組みを進めている。東海ブロックにおいても、本日、憲法フォーラムを開催し、憲法改悪を許さない、憲法の理念の実現をめざす取り組みを強化するとともに、名古屋大学教授愛敬浩二先生を招いて『改憲の何が問題-あらためて立憲主義を考える-』と題した講演をしていただき、改憲問題に対する理解を皆さんとともに深めていければと思っている。平和で、安全、安心な社会、ある意味、当たり前の社会を実現するために、東海ブロックが一丸となって、平和フォーラムに集う私たちの思いを国民運動につなげていこう」と、集会参加者へ訴えた。

 杉山議長のあいさつの後、講演に移り、「改憲の何が問題―あらためて立憲主義を考える―」と題して、名古屋大学教授の愛敬浩二さんが講演を行った。

●「拷問メモ」と内閣法制局

 愛敬教授は、米国司法省法律助言局の拷問メモ(※注)を例に挙げて「責任ある法律家が、権力者の意向に沿って法解釈をしていったらどうなるか。原則論では、権力者の憲法や国際法で制御しているのにも係わらず、条文解釈を操作することによって、『どうぞやってください』とやってしまったら、コントロールできなくなる。米国では、この問題は深刻に議論されていて、とりわけ問題になったのは、専門家の責任である。専門家はお客(クライアント)の言いなりになるのは期待されていない。もちろん、クライアントの利益になるように考えるものであるが、そのクライアントが常に正しい判断をする可能性はないから、その際に専門家としてきちんと助言をする、それが期待されているから『法律助言局』となるわけである。それにも係わらず、当時の法律助言局は、大統領が望むとおりの回答をしてみせた。その結果、米国では法曹倫理に係る問題として深刻に議論されてきた。もし、大統領に助言する法律家たちが、言いなりになるとするならば、彼らをおいておく意味は何なのだということになる。民主主義というのは、ある意味、きちんと議論して多数者が納得して、それで実現していけばいいのかもしれないが、立憲主義というのは、多数者がいいと言っても、やはりしてはならないことがあるのではないかと考えるのが立憲主義であると思う」と語った。

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 「やはりどの国においても、民主主義の暴走という経験がある国は、とりわけそうであるが、何か権力を握っている人が、やりたいと思うからやらせてしまう、それはまずいのではないか、その中で米国の法律助言局がこういうメモを書いてしまったということは深刻な問題として議論されている」と語った。そして、愛敬教授は、日本の状況について「日本でも(米国と)同じことが進行していると思う。法律家の一人ひとりが権力に弱いのは結構であるが(本当は結構ではないが)、それは一人ひとりの倫理の問題であるから、ダメな法律家はいるものである。でも(法律)機関がそうであるとまずい。だめな法律家がいてもいいが、ダメな法律機関があっては困る。だめな裁判官がいてもいいが、ダメな裁判所があっては困る。米国の法律助言局が、大統領からの独立性がなくなったら困るのと同じで、同じことが、日本の内閣法制局で起こっている。普通、政府解釈を変える場合にしても、赤裸々に言わないはずであるのに、どう考えても、『政府解釈を変えるのに熱心な小松一郎さんを内閣法制局長官に置きます』と赤裸々に安倍首相は言っていて、小松さんも隠そうとしない。政治的な変更を、法的に説明してみせるのが法律家であるから、『私は、そういう変更には積極的ではありません』というのが、まともな法律家である。やはり、この人事が衆議院、参議院で過半数をとっている状況の中で通っている。これは、まったく政治的人事であったわけであるが、これは立憲主義の危機である。権力者が思い通りに権力を行使できる、それに対して専門家や法律家が歯止めをしない。この状況があるというのは、本当に立憲主義の危機だと思っている。解釈改憲による集団的自衛権行使の解禁、それ自体、いろいろ問題はあるが、それならば、もっと真面目なやり方があったはずである。人事変えて、首をすげ替えて、解釈を変えてくれる人を頭にのせて、それで変えてしまうというのは、憲法をなめているだけでなく、法律家をなめている。法律家どころか、法律を解釈する機関をなめている」と語った。

(※注)「拷問メモ」
米司法省が02年8月にホワイトハウスに対し、国外で拘束中の国際テロ組織アルカイダのテロリストに拷問を加えることは「正当化される」と助言していた。中央情報局(CIA)が拷問の法的根拠を尋ね、司法省が答えるために作ったメモを入手。メモは「アルカイダのテロリストの米国への新たな攻撃を防ぐためであれば」米政府職員は拘束中の容疑者に拷問を行ってもよいとする内容。司法省は拷問を狭く定義し、単に中程度や短期間の苦痛を加えるのは必ずしも拷問に当たらないと解釈している。メモは拷問について「臓器の損傷、肉体的機能の損傷や死さえもたらすような苦しみに匹敵するもの」と述べていた。

●そもそも立憲主義とは何か

「立憲主義とは、簡単に言えば、『憲法に基づく政治』。立憲主義が典型的に発展した国では、市民革命、またはこれに類するような大変革があって、その大変革の成果を永続化させるために、条文化する。通常の政治は、『条文化されたこのルールを乗り越えてはいけない』ということを宣言するとういうことが行われたわけである。この市民革命の成果を永続化させる試みとして、憲法をつくるということが始まる。このように、市民革命の成果を法典にすることによって、将来の政府に対してもルールとして適用していこうというのが、立憲主義の理論的考え方である。立憲主義の考え方をもっとも明快に啓示したのは、フランス。それも人権宣言16条という規定である。人権宣言16条は何と言っているかというと『権利の保障と権利の制約が定まっていない社会において、憲法は存在しない』と言っている。逆に言えば、憲法というのは必ず『権利の保障と権力の分立、権力の制約を含んでいるものだ』ということである。であるから、全ての憲法が、ここでいう憲法ではないのである。あくまでも目的は『諸個人の自由や権利の保障、その手段として、国家権力を制約する』この考え方をとっていない憲法は、立憲主義憲法ではないのである。今、立憲主義の危機であると言ったのは、多数派によってもしてはならないことをきちんと定めておく。その時その時の多数派が好き勝手にやったら市民革命の成果がないがしろにされてしまうかもしれない。だから、その時その時の多数派に好き勝手させないためにルールをつくって、それを何らかの制度で担保する。そういう考え方であると理解していただけたらと思う。ですから、日本国憲法というのは、明らかに立憲主義と言う考え方に則っている。“国民の意思と言ったって、何か情報もきちんと提供されない中で、多数決をとることが国民の意思かどうか。”きちんと議論をして、その結果として、たまたま何かを決定しなければいけないわけだから、今日はこの多数派、明日はこの多数派にならなければいけないわけである。支配する側から拍手喝采だけを受け入れる民主主義、これは、『ナチス』です。要するに、民主主義は、ある一定のルールの中で行われるべきであるし、少数派の言い分もきちんと聞くかたちで行うべきである。立憲主義は、単なる権力の制約ではなく、『よりよい自己統治、よりよい民主主義を実現するものだ』という論点を示しておきたいと思う。なぜ、立憲民主政が大切なのかと言えば、皆、利害、価値観を異にしているわけである。それにも係わらず、一定の法制度のもとで生きていこうと決断する場合には、たまたま少数派になったからといって、多数派が侵してはいけないことはあるはずである。少数派と多数派はどうしても生じるわけである。皆、意見も理解も価値観も異なるわけであるから、そのことを前提にすると、それぞれの言い分に関しては、きちんと発言する機会があるとか、そういうことは絶対保障しなければならない。少なくとも、少数派ということを理由に除外することだけは許してはいけない。そういうふうに考えると、『多数者の権利であっても、してはならないことを決めなければいけない』ということが要求されると私は理解している」と語った。

 愛敬さんは、安倍首相について「安倍首相は、国民の間に理解、価値観の対立があることを非常に嫌がる人である。だから、あの人は、敵、味方というのが非常にはっきりしていて、味方に対しては非常にあまい一方、敵に対しては非常に攻撃的になる。国民の間に理解、価値観の対立がないと思い込んでいる人に、憲法改正を絶対させたくないと思っている」と語った。

●安倍政権を考える視点

 安倍政権を考える視点として、愛敬さんは「2000年代以降の憲法改正の内容は、大きく三つからなっている。一つは、9条改憲をして、『強い国家』になっていくことです。そのポイントは、正真正銘の軍隊として、自衛隊の海外派兵を可能にすることと、小国主義的な政策を克服するということです。『小国主義』とは何かというと、経済大国、政治大国化すると、軍事大国化するという流れがあるが、日本では、経済大国化、政治大国化、軍事大国化の流れが進んでいない。総理とかは、それなりに大きなものになってきているが、それでもいろいろ歯止めがあるわけである。例えば、集団的自衛権行使に踏み切れていないことがそうである。普通の国の軍隊であれば、何の問題も無くできることが、何となくでき難くなっているということがあるわけである。日本は、確かに9条は形骸化してきているが、にもかかわらず、政府解釈のもとでさえできないことが幾つかあった。2000年代の『明文改憲の天王山』は、2005年にあったと私は理解している。なぜ、それが実現できなかったのかという理由は、『9条の会』に代表される市民運動の側からの動きも重要である。現行の憲法96条のもとでは、国民投票で必ず勝てるという見込みがなければ、野党は与党と協力して、憲法改正という発議はしにくい。だから『2005年の天王山』を潰したのは、市民の運動と小泉純一郎と思っている。このように考えると、2005年と違って、憲法改正に圧倒的に有利な条件になっている。その一つは、民主党が分裂してまともな野党がいなくなってきていること、それから、国際情勢に関しても、ブッシュ政権のもとで戦争に加担するのか、オバマ政権のもとで戦争に加担するのかでは、説得力が違ってくるし、尖閣諸島をはじめとする領土問題の関心が国民の間に高まってきているので、9条改憲には有利な条件になってきているのかもしれない。さらに、自民党内で小国主義的考え方を持った保守層がどんどん引退、またはいなくなるという状況がある。ここで、確認しておきたいのは、『解釈改憲で集団的自衛権を行使に踏み切ったら、明文改憲が必要不可欠になる』ということである」と語った。

●96条改憲論の法的意味・政治的意味

 96条改憲論の法的意味・政治的意味について、愛敬さんは「与党は、衆参でそれぞれ過半数を握っているのが普通の状態である。改憲発議要件が過半数に変えられてしまえば、いつでもどこでも改憲を発議できるということである。三分の二というのは、野党と協力しないと発議できないから、憲法改正は特別な政策課題ということになる。野党と協力して改憲を発議しても、国民投票で負けてしまえば、その問題に関してもう一回野党と協力するのは難しい。三分の二の条件のもとで、憲法を改正するのであれば『発議したら絶対通す』、その覚悟がなければ絶対出せない。しかし、過半数だったら、野党と協力する必要がない。『いつでも改憲』、『繰り返し改憲』が可能になるということである。と言うことから、二段階改憲、つまり、96条を改憲して、9条を改憲するという段階をとる。今、96条改憲は下火になっているが、また出てくるだろうと思う。重要なのは『憲法改正案の内容に問題がある』から、野党も付き合わないし、国民投票に負けるかもしれないから、発議できていないだけである。国民の多くが賛成できる改憲案をつくらないでおきながら、『憲法改正がないのはおかしい』、『改憲要件が厳しすぎる』というのは非常におかしい。憲法を改正したければ、きちんと憲法改正の手続きで実現できる改憲案を出せばいいだけの話である『ゲームを始める前にゲームのルールを変える』ことを、国民は絶対許してはならない。せめて『ゲームのルールだけには従えよ』と、それさえ従わないということが、立憲主義をないがしろにしているということの特徴である。

●立憲主義と「国民の憲法尊重義務」

 愛敬教授は、立憲主義と国民の憲法尊重義務について「憲法99条には、『天皇または摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う』とあり、国民が入っていない。これには、重要な意味があると思う。すなわち、国民は憲法を尊重し擁護する義務を負わず、公務員に対し憲法を尊重し擁護せよと要求する権利があるという考え方だと思う。この考え方は、立憲主義の考え方からすると、筋のいい記述である。筋のいい憲法というのは、政府が権力を乱用する場合には、市民の側に抵抗する権利があるということである。この考え方からすると、国民は『憲法を尊重し擁護する義務を負わない』、『公務員に憲法を尊重し擁護する義務を負わせる権利』がある。ところが、自民党憲法草案では、国民に憲法尊重擁護義務を負わせ、天皇、摂政からは憲法尊重擁護義務を外した。これは、天皇や摂政に憲法尊重擁護義務を負わせることはおそれ多いということである。自民党憲法草案は、我々一人ひとりの基本的人権の尊重が目的ではなく、天皇を戴く国家を末永く維持していくことが目的である。このように国民にいろいろな義務を課している憲法でいいのか、ということを真剣に考えるべきである。『本当に国民に憲法尊重義務を課すならば、歴史認識に関して、国家として正式に明確にして、それに違反するような政治家の行動は、もはや個人の自由として正当化できませんよ、それで本当にいいんですか』という話である。彼らには、それを受け入れる余裕はないはずである。原則論として、立憲主義の本質論からして、国民は憲法を尊重し擁護する義務を負わず、憲法を尊重し擁護せよと要求する権利がある。これが筋論だと思う。

 愛敬教授は、講演の最後に、「私は『9条も大切だけれども、自衛隊も必要だね』という人を念頭に討議をする場を考えて話をする。自民党や保守系の議員と話すときは『少なくとも日本は立憲民主主義を採用した国ですよね』と最初に言ってから議論を始める」と語った。

●大衆行動で社会を変えていこう

 本集会の最後に、平和フォーラム三重の前嶌徳男議長は閉会のあいさつで「今日の話を聞いて学んだことはが二つある。一つは、立憲主義の問題である。民主主義をつくるために、立憲主義の基本的な考え方があることを学んだ。まだ、憲法96条は、衆参国会議員の三分の二で発議できることになっているが、もし、発議要件を二分の一にしてしまったら、普通の法律と一緒だから、『憲法が普通の法律になりさがる』それは、憲法でなくなると思っている。もう一つは憲法99条の話である。この話を聞いて、2006年から2007年の第一次安倍政権のときに、教育基本法が改悪された。

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 そして、憲法改悪に向けての国民投票法が強行採決、強行可決されたときであったと思うが、その時に99条の話題も出ていた。私たちには、憲法を擁護し尊重する義務はないけれども、先ほどの話にもあったように、天皇や国会議員や公務員は、憲法を擁護し尊重する義務を負うのだということが議論されていたと思う。そのことが、今回の自民党案でみると、やはり無くなって、国民の私たちに憲法を擁護し尊重する義務があるとなっている。これがそのまま通っていくと、ドイツの闘う民主主義について、さまざまな問題があると話にあったが、このことについて、私も初めて聞いて、大変参考になった。皆さんも考えることがいろいろあったお話ではなかったかと思う。私たち、平和フォーラムは運動団体であるので、このような学習会を深めつつ、憲法改悪を許さない、日本国憲法の理念を深めた政治を強く政府に求めていく運動を展開していかなければならないと思っている。憲法に沿った政治を彼らにやらさなければならない、とういのが私たちの任務であると思っている。連合や民主党にも、憲法理念を尊重し生かす政治をせよとか、9条を変えるなとか、脱原発を早期に実現せよとか、そのようなことを主張して欲しいと願っているところである。自民党は、あの手この手でいろいろやってくるだろうが、それに騙されないためにも、このような学習会で深めて、自信を持って私たちの主張を展開していかなければならない。そして、それを外へ大きく発信をし、多くの人々に訴えて対話集会やデモに広く住民の参加を求めていかなければならないと強く思っている。大衆行動で社会を変えていこう」と訴え、集会参加者と再度認識を共有し、本集会は閉会した。